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山なし 落ちなし 意味なし ファミマで売ってる落書き帳(税込¥92)に 書けばいいような、どうしようもないネタを書き散らす
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05.12.08:45

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  • 05/12/08:45

03.07.00:55

代表戦(前篇)

アツい甲子園の地区大会で思い出した、俺の高校の頃のレベルの低い部活話。

本題(笑)に入る前に背景事情とついでだから思い出話。
高1の4月、他の生徒が野球だのサッカーだのテニスだのバスケだの
人気集団に属していく中、俺は何をとち狂ったのか、水泳部に所属していた。
最初に部室に入った衝撃は忘れられない。
拘置所のような外観からの、壁一面に踊る○禁ワードとヤバいグラフィティ。
室内も外側同様あふれんばかりの言葉の暴力、使い古した麻雀卓、
どこぞから「救出してきた!」(先輩談)とされるマルチメディアの数々…
正直「何やコレ…東大阪!?エライ所に入ってしまった…」と思ったのも無理はない。
まあ入ってみると意外とまともな人多かったけどね。

練習について。
泳ぎは得意で割と好きだったが、それは温水プール限定の話。
4月、5月の屋外プールは氷水のように冷たい。

そして、カッケー(数学教師)という顧問がいたのだが、これがとにかく練習させ好きな指導熱心
(※技術的な指導はあまりしません)でやたら早くからプールに入らせたがる。
「僕は4月からプール入った方がいいと思うんやね~」(←カッケーのマネ)
という鶴の一声で4月から水中練習開始。
このカッケーの無駄に長いアーリーワークが線の細い俺には余計に応える。
           
   その時期の水中の俺はとにかく震動していた。
その状態は人呼んで「禁断症状」らしく、これには俺も苦笑い。
禁断症状→足つる→誰よりも早く水から上がるという流れが早くも1年の5月には
確立され、これには他の部員も苦笑い。
この一連の流れは水泳部の風物詩となり、もはや様式美のようになっていた。

ところで肝心な実力の方はと言うと、「記録より健やかな毎日」をモットーにやっていた
こともあって当然しょっぺぇ成績。スタミナが無いので長い距離を泳ぐ種目になると
余計ヤバい。反対に50mや25mならそこそこ戦えたので、毎試合なるべくスプリンター種目
で出場していた。25m(※試合にそんな短い種目はありません)なら
結構「いけるやん(by紳助)」と思ってた時代もありました。
しかし、俺も好きな自由形はみんな出場したがる花形の激戦区。出場枠がある以上、
速い順に、先輩からエントリーが決まってしまう。というわけで、俺はもう一つの得意種目背泳ぎで
エントリーすることが多かった。

ここで話を戻して本題(笑)へ。
9月、水泳シーズンも終わろうとする頃に、市大会の話が来た。 (後半へつづく)
      

                コラム~カッケー迷言集コーナー(誰得!?)~
「○○やね~」「○○しましょかぁ~」(←特徴的な語尾。

「お前僕のマネしてるそうやね~。僕そんなに特徴あるか!?」「とりあえず僕のマネ、止めましょかぁ~」
(↑モノマネ得意な部員、I本に対して。もちろんI本はこれもモノマネレパートリーに加える。)

「僕はね、マイボール持ってます(ドヤッ」(←授業中に謎のボウリング趣味アピール。まさに誰得情報。)

「僕はね、マイグローブ持ってます(ドヤッ」(←冬のマシン筋トレ中、謎のボディービルアピール。)

「問題解説してる時間がないのでね、今から解答を配ります~(いたずらっぽい顔で)」
(↑数Cの授業にて。授業とは、教師とは、を深く考えさせられる一言)

カッケー「Xが何乗になろうともこの法則は成り立つんやね~
天然系のYさん「じゃあxが100乗になったらどうなるんですか」
カッケー「あ~xが100乗の時はやね~カッカッ(試行錯誤するチョークの音)…うん、自分でやっといて下さい。」
(↑面倒な時は生徒の質問は受け流し、適当に授業を終了させる。これぞスローライフ)

「お前~家に電話するぞ(いたずらっぽい顔で)」
(↑カッケーの授業がイミフで数Cだけは赤点を取りまくった俺への警告)

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